前段

きっかけはこのツイートを見たことです。



この段階で、わたしはこの「フェミニズム=禁欲主義みたいになっちゃっ」てるという言葉の指す具体的な意味を知らなくて、単に「一般的な」みたいな意味だと思いました。

これに対しわたし。




で、このあと手繰っていくとこんなものを発見。



これに対するリプライに、以下。




と、ここでようやく、「まなざし村」というキーワードが今上がっていて、最初の「フェミニズム=禁欲主義みたいになっちゃっ」てるというのも、おそらくこのことだろうと気づきました。

おいでよまなざしの村 - Togetterまとめ

↑これが発端のようです。長いので頭の方しか読んでません。
簡単に言うと、巨乳海女ポスター問題に代表されるような、マンガアニメ領域に対して敵意をむき出しにする「自称・フェミニスト」たちをくくって揶揄するような話のようです。

ふむ。
 
この話題に対して、わたしは非常に居心地の悪い思いがしたんですね。
なんというか、立ち位置が取りにくいんです。
たまたま、先に引用した自分のツイートの中でも、「エセフェミ」という言葉を使いましたが、そういうのとは一線を画したい。
でも「エセフェミ」は、論点や論法は間違いだらけだけど、彼らが攻撃している対象が必ずしも批判に値しない、というわけでもなく、たしかに問題がある場合も往々にしてある。
なんてなことを考えつつも、わたしはこんなツイートをしました。



これはつまり、何が言いたいのかというと、「わたしはエセフェミじゃない」ということなんです。
「まなざし村」はほとんど絡んでこなくなると思いますが、わたしの私的なコンプレックスとフェミニズムのややこしい話なんかをしようかな、というのが今日のテーマです。
(ほんとはツイッターでだらだらまとめずに書きたいんだけど、なんのためのブログだってなるので…でもブログ用にまとめてもいないので、今日もだらだらいきます)

「非モテのわたし」

それが、コンプレックスとしてひじょーに「ダサい」ということは重々承知なのですが、
まあー、モテない。
わたしの半生は、もうね、モテない。の一言で集約されるような、そんな人生でした。
この話は今後繰り返ししていくことになると思うのですが、とにかくね、ひどいもんですよ。
学校はずっと共学でした。中学から一貫校の私立に通ってました。私服だったので、制服という「女子」の記号を身につけた経験はありません。

中学時代、色恋沙汰なし。
高校時代、彼氏なし、男の子から告白されたこともなし。
(※ただしこの時期女の子と付き合っていて、後に自分はヘテロであると自覚するのですが、それはややこしくなるので今回は話しません)
大学時代、入学直後にサークルの男の子に一目惚れされるも付き合わず、ふった直後別の女の子と付き合っていたので、わたしじゃなくても良かったことが判明。その後色恋沙汰なし。
大学院時代、やっとロストバージン、その時わたし、24歳。

そう、わたしは24まで処女だった。24歳処女。どうなの?これ?
いや、統計的に言えば、いまやそれは「一般的」あるいは「平均的」であるかもしれない。
でも、精神的、イメージ的にはどうなの。「ヤラハタ」という言葉を最近知ったけど、20歳で未経験なことも「やらずのハタチ」として敬遠されるのに、それからさらに4年。
どんな女が想像されるんだろう。あか抜けていなくて、不潔で、醜く、性格が悪い。
だいたい、「女の価値」っちゅーものに、「若さ」は間違いなく含まれている。
若いのに、セックスの対象にならない女って、どうなんだ。それってもはや女じゃないんじゃないか?

とはいえ、周りにもいます、処女だという友だち。
彼女たちにそんなマイナスイメージは持たない。
それはみんな可愛くて、性格がいいことを知ってるから。
彼女たちが未経験だという理由は、自分にとっていいと思える相手がいないからだったり、本当は魅力的なのに自分に自信がなく積極的になれないからだったりとか、あるいはそういった人間関係を単純に必要としていないからだったりして、
彼女たちの落ち度じゃない。

でもさ、自分は違う。
わたしはセックスしたかったし、自分は魅力的だと、かつては、勘違いしていた。
この言い方は非常に誤解を招くと思うが、また後日ちゃんと話すので赦して欲しい。
と言い訳した上で言うと、わたしはただモテないどころか、水商売のスカウトもされないし、究極的に、痴漢にも遭いません。
恋愛対象にならないし、金銭的な性的価値もない、ただ浪費する性としてすら見なされない。

ひくわーーーーーー

何が悪いのかわかんないですが、わたしは決定的に、女として失敗しているようなのです。
外見がわるいのか、性格がわるいのか…。
自分の目には外見は、低く見積もっても下の上~中くらいだと思っているので、まあぎりぎり普通の範囲には収まると思うので、性格の問題でしょうか。(ちなみにほんとは中くらいだと思ってます、思い上がりすみません)
でも水商売のスカウトや痴漢は、わたしの性格を知らないはずなので、やはり見た目でしょうか。

ま、そんな感じで、わたしはよくいる「非モテ」のひとりです。
ほかの非モテのひとも、多かれ少なかれこんな悩みを持っているのかなあと(ちなみにわたしは、今まで長々書いた自意識自体の問題点もある程度自覚してますが、それはまたいつか)。

でもね、非モテこじらせてエセフェミになるひととは、わたしは違うんです。
と主張する理由を以下に。

わたしが非モテなのは誰のせい?

『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』というマンガがあるらしいですね。
読んだことないですけど、たぶん「まなざし村」にいる非モテのエセフェミのひとたちはこれに近い考え方をしてるんだと思います。
非モテである→モテを肯定すると辛い→モテ=性的に見られることを「悪」とする→性的に見るもの≒男性を「悪」とする→性にまつわることをまるっと憎む、「悪」として攻撃する
とまあ、こんな感じの図式だと思うんですね。
つまり、非モテの原因を自分の外側に求めている。
自分を変えずに、周りを変えようとしてる。

ちなみになんで彼女らが「フェミニズム」という学問と結びついてしまったのか、ですが(本当はこっちが重要で精査する必要があると思うんですが)、
本来的に「フェミニズム」は「男性主体の言語文化によって形づくられた、“男性らしい男性にとって都合の良い”“女性らしさ”を解体する」ようなアプローチだと思うんですよね。
だから、フェミニズムは「女性」を解体するもので、「男性」を攻撃するものではない。
でも彼女たちはそれがわからないんですよね。
たとえば、いわゆる「性の二重基準」、ダブルスタンダードも、あれは矛盾するものを求める「価値観」を指摘したものであって、それに縛られているのは男性もそうなんですよ。個人の意思を超えたところで、その価値観を内面化させられてる。
それがわからずに彼女たちは、「その価値観は男性が女性に押し付けてる!」とかって使っちゃうんですよ。
しかもこの段階になってしまうと、もはや自分の非モテの理由、とかいうそもそもの話が忘れられてる。
憎しみの原因はそこにあるんだけど、それを忘れて、ただただ憎らしい「性」と「男」を叩きたくて潰したくて、支離滅裂なことを言っている。
ま、ここは話していくと正当な「フェミニズム」の話になるので、今日はこの辺で。

じゃあわたしは何が違うかというと、わたしは自分がモテないのは自分のせいだと思っているんですね。
それは、さっきの文章からも明らかですよね。
わたしになにか重要な欠陥があるから、わたしは性的な存在ではいられなくて、まともな普通の女の子なら性的な存在で居られるはずだ、と。
こういう語り口な時点で、わたしは性を否定してないし、性的に見られたいと思ってる。
そうだ、わたしはモテたさを捨ててないんですね。
たぶん、まなざし村民は、自分がモテたいと思ってることを認めたくない。
認めたら惨めになるから。「モテ」なんていう価値観が間違っているのであって、私はそんなものに惑わされない! というスタンスでいたいんじゃないかしら。

 

非モテを自分で認めているメリット

たしかに、わたしは惨めです。モテたいのにモテないから。人並みに普通で居たいのに普通ではないことを自覚してるから。
ただ、わたしのスタンスでも、外側の問題に目を向けることは出来ます。
男性や性を憎まず、「男性」や「女性」や「性」を規定している、「常識」「ふつう」みたいな共有された価値観――こういうものの話をするとき、ジェンダー論界隈ではよく「法」という言葉を使いますが――そういったものに問題はないのか? というアプローチですね。

これは、本来的な「フェミニズム」あるいは「ジェンダー論」の観点だと、自分では思っています。
性欲そのものは悪いものではないです。男性が女性を性的に見ることも悪くない(反対もあるし同性間も、性別という概念を介さないこともあるかもしれない)。
でもその中で「非モテ」が苦しまなきゃいけない理由もないわけです。
その問題の解決には、「モテ」とか「性的である」こととか、それをどう捉えるか、というレイヤーの方が重要なわけで。

なんて話も、本筋の「フェミニズム」の話になってしまいますね。
まあ、雑にいうと、わたしは「まなざされない者」なので、当然「まなざし村」とは関係がないのです。
というか、自分だって「まなざされない」のに、自分のことを忘れて「男性」から「巨乳アニメキャラ」へのまなざしに怒っているというのは、なんともまあ、滑稽です。
そういうことをするから、「ブスのババアフェミキチがヒステリーを起こしてる」なんて思われるのです。
なんにせよ、こと性の領域を語るなら、自分の身を削って、自分の立ち位置を明らかにしなきゃいかんのです。
モテないなら、モテない私、という立場からモノを言わないと、それは欺瞞になってしまう。
わたしはコンプレックスが深いですが、その分自分の立ち位置を自覚して話すことが出来ます。
それが「まなざされない者」という類型にないものなので、なかなか困難がありますが…。

ちなみに冒頭で引用した自分のツイートにある、「意識高いリベラルヤリマンフェミ」ですが、これは性的に解放された女性を賛美するという類型で、非モテエセフェミよりはずいぶん質が悪くないとは思いますが、彼女たちは非常に女性原理主義的で、つまり、「女性」という単一の価値観、女性であるということに単一の判断基準が確固として存在すると信じ、「先天的に女性である」ことをアイデンティティにして、それを共通項としてつながり、徒党を組むことが当たり前に出来ると信じ込んでいるので…
まあ、簡単に言えば、彼女たちは、わたしのような「まなざされない女」がこの世にいるなんて考えてもいないのです。
女性の性を肯定するのは、現状に対しては一歩進んだ良いアプローチだとは思いますが、彼女たちにとってわたしは「存在自体が理解できないもの」になってしまうので、やはり与することはできないですね。

結~フェミニズムとわたし

まあ、こんなような理由で、わたし個人としてはとても真っ当に、誠実にフェミニズムの問題と向き合っているつもりなんですが、
世間で言われているフェミニズムのイメージ/あるいは実際によく見る「自称・フェミニスト」の派閥や類型と、わたしのスタンスはどうも合致しない。
「まなざされない」というスタンスで語られているフェミニズム論・ジェンダー論を、寡聞にしてわたしは聞いたことがありません。
もし知ってたら教えてください。純粋に知りたい。
わたしは、わたしの認識している意味合いの中では「フェミニスト」と名乗っても構わないとは思っているのですが、その言葉から世間の多くが受け取る意味は、わたしの意図とは相当離れてしまうんだろう、とは思っています。

なので、まあ、こういう「フェミニズム」にまつわる話題が出ると、なんとも居心地が悪くなってしまうんですよね。
わたしの意見を言う前に、何重にもあるその「認識の違い」の話をしなきゃいけなくなるので。
今回はなんというか、うまいことというか、その「フェミニズム」そのものを揶揄するような話題だったので、考えがてら書いてみました。
結構いろいろ問題の種をまいてしまった気もしますが…
まあ、今日はこんなところで。次はもうちょい面白いことを書きたいです。